『我らコンタクティ』

田舎の町工場の青年が、ロケットを自作して宇宙に打ち上げる漫画。

と書くと、「夢も希望も失っていた青年がふとしたきっかけで宇宙に目を向け、奇跡的に有能な仲間たちの助けを借りてロケットを打ち上げるサクセスストーリー!」みたいな話に思えるけど、全然違うのだった。 

我らコンタクティ (アフタヌーンコミックス)

我らコンタクティ (アフタヌーンコミックス)

 

主人公は、自分が何よりもやりたいこと、ただその一点を見定めて、周囲の意見や批判に惑わされることなく突き進む。この迷いのなさが、清々しい。当初は誰にも理解されずに孤立していた主人公は、その純粋さによって協力者を得て、ぶれずに目標を達成しようとする。

日本のどこかの田舎の、のんびりした空気と濃いめの人間関係の中で物語は進む。ほんわかした絵は、白と黒が多くて、どことなくトーベ・ヤンソンを思わせる。かなり好きなタイプの絵だ。実際、完全にジャケ買いだった(それまでまったく知らなかった)。

面白いのは、この絵柄とストーリーなのに、リアルであること。ロケットの構造や打ち上げプロセス、法的な問題などがちゃんと考えられている。技術的には(たぶん)色々と突っ込みどころがありそうだけど、「ファンタジーにしない」という意地が、この作品を特別なものにしている。

本当の現実の中で、本当にやりたいことを成し遂げるという物語だから、面白いのだ。

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『極夜行』

数年前、探検家の角幡唯介氏が北極圏で活動しているというエッセイを雑誌で読んだ。グリーンランド滞在中に国外退去処分を食らい、計画が大幅に狂ったと書かれていて、なんだか大変そうなことになっているなと思っていたが、その延長線上にどんな冒険を計画しているのかは書かれていなかった。

そして、私が知らない間にカクハタ氏は数年越しの準備を終え、意気揚々と冒険に旅立ち、初日から想定外の苦難に見舞われ、命からがら帰還していたのだった。

この本では、40歳を超えて家族を持った作者が、人生最後の大冒険として計画した「極夜の北極旅行」が、いかにして計画通り進まなかったかが描かれている。数か月にわたって太陽が昇らない真冬の北極圏で、GPSに頼らず、2万5000分の1の地図と方位磁針と星だけを頼りに旅をする……という探検家としてのこだわりは、ロマンがあって素晴らしいと思うのだけど、結局はそれがアダとなって最後まで苦労するはめになってしまった。

悪天候をはじめとする数々の不運に見舞われながらも、奇妙な楽観主義によって突き進む作者。その結果が裏目に出ても、結局は「なんとかなっている」のがすごい。不運なのか幸運なのか、よくわからない。

最後の最後で冷静な判断を下し、それを確実に実行できたのが、生還できた理由だろうか。その判断を支えたのが(作者も最後に語っているが)、何年もかけた周到な準備だったのだろう。

最初から上手くいかない旅の中、不安だらけのカッコ悪い、情けない心境が包み隠さず語られる。植村直己のような「何が何でも生きて帰ってやるぞ」みたいな情熱がないから、全然スカッとしない。そして、ときおり出てくるギャグが寒い。目を疑うほど寒い。まあ、それを含めて、自分を赤裸々にさらけ出しているのが潔いとも言える。ただ、それが面白いかというと……

個人的に残念だったのは、作者が多くのページを割いて描写した「極夜」の魅力が、あまり響いてこなかったこと。自分の想像力の問題かもしれないが、永遠に続くかのような暗闇の中の旅というのは、もうちょっと魅力的に描けたような気がする。これに関しては、ノンフィクション作家の能力よりも、詩人の才能が必要だったように思える。 

極夜行

極夜行

 

 

ビュールレ・コレクション展

印象派の絵画が大好きな自分。所用のため上京したついでに、新国立美術館の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」を見に行った。

今回の展覧会の目玉は、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(可愛いイレーヌ)」と、モネの「睡蓮」の大作。 

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「絵画史上、最も有名な少女像」という触れ込みの「イレーヌ」は、画集などで見るよりも繊細で、はかなげな印象を受けた。少女の成長過程の一瞬を凍結したような、刹那的な美しさというか。ルノワール独特の輝くような白も、この絵に関しては、生命感よりもか弱さを感じさせる。少し不安げな表情のせいかもしれない。それはそれで、よいのだけど。

 

今回スイスからやってきた「睡蓮」は、モネの最晩年に描かれたものの1枚らしい。画面の左下に塗り残した部分があって、ここで力尽きたのかなと悲しい気分になった。

 

あと印象に残ったのは、ゴッホの自画像。他の画家の自画像からは表現者としての自負や野心がにじみ出ていたのに、ゴッホの自画像からは不安や自虐が感じられた。素晴らしい絵画だと思うけど、あまり自分の身近には置きたくないような……なかなか、強烈なインパクトのある作品だった。

残滓

野山が美しい季節。しかし花粉による鼻づまりがひどいので、野山は歩けない。マスクをしたまま運動すると酸欠になってしまう。

そこで今日はドライブに出かけた。窓全開で山道を走っても、マスクをしていれば平気なのだ。特に用事や目的地はないので、純粋なドライブである。とりあえず、山を越えて松本に行ってみた。

適当な駐車場に車を止めて、古い街並みが残る中町通を歩いていると、ちょっと面白そうな陶磁器屋さんを見つけた。作家物の陶磁器ばかりだが、コーヒーカップや茶わんなど普段使いできそうなものが並んでいた。重厚というよりは軽快、モダンで美しい作品が集められている。値段も(比較的)手頃だったので、買いたい気持ちを抑えるが大変だった。

面白いのは、いくつかの作品に短い詩が添えられていること。詩が書かれた紙片が、作品の脇に置かれているのだ。店主自作らしい。昭和初期の詩人が書いたかのように、旧仮名遣いで書かれていた。詩そのものの出来はともかく、これだけで想像力が刺激されて、作品の世界が大きく広がったように感じられた。面白い工夫だと思う。

陶磁器が展示されている棚は一部が本棚になっていて、古い本が並んでいた。背表紙を見ると、「ドグラマグラ」「小栗虫太郎作品集」など、趣味の良い本が並んでいる。中でも、中井英夫の作品や関連書籍がたくさんあったのには感心した(自分が好きなので)。

我慢しきれなくなり、カウンターの中にいた初老の男性店主らしき人に聞いてみた。

「これは売り物ですか?」

「いや、違います」

「ああ、ご主人の蔵書なんですね。趣味が良いですね」

「いやぁ。東京時代のザンシみたいなもので」

ここで常連らしき女性客が来たので、店主はカウンターから出ていった。

 

ザンシ、って「残滓」のことか。なかなか、日常では使わない言葉だ。

東京の仕事を引退して、松本に移住してこの店を開いたということだろうけど、自分の過去を「残滓」と呼んだことが気になった。中井英夫ファンだから、そういう耽美な感覚を持っているというだけのことかもしれないが……。

もう少し観察してみたかったが、常連の人たちの空気に居づらさを感じて、何も買わずに出てしまった。

また来よう。

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(この写真は別のお店)

「すべてがFになる」アニメ版

Amazonプライムビデオの導入で、家に居ながらにして映画でもドラマでもアニメでも好き放題見られるようになったのに、レンタルビデオ屋で3年前のTVアニメを借りて見ていた。

このアニメ版「すべてがFになる」。制作が発表された2015年当時、すごく気になっていたのだが、放送が始まったときには忘れてしまい……先日ビデオ屋でDVDのパッケージを見つけたときに、3年ぶりに思い出した。 

森博嗣の原作を読んだのは10年近く前だと思う。長大なミステリー小説、しかも本格推理ということで手に取ったのだけど、とても面白く読んだ。個性的な登場人物、緻密に作り上げられた密室、哲学的な対話、すべてが分厚い1冊に詰め込まれていて、最後のページまで満足できる作品だった。

続けて、このシリーズの作品を何冊か読んでみたのだけど、残念ながらこの「すべてがFになる」を凌駕する作品はなかった。迫力がまったく違うように思う。

アニメに先行して制作されたドラマは、放送時に見ていた。しかし、原作の「すべてがFになる」に該当するエピソードは2話しかなく、謎解き中心のストーリーになっていた。いろいろはしょりすぎて、満足できなかった。あと、綾野剛の「犀川創平」はともかく、武井咲の「西之園萌絵」は原作のイメージとだいぶ違うなぁという印象だった(19歳には見えなかった…)。

だからアニメ版に期待していたのだけど、見るのを忘れていた。 

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原作を読んでからだいぶ時間が経ったので、うろ覚えな部分があるが、かなり原作に忠実な映像化だと思う。主要キャラクターのデザインは、自分が抱いていたイメージにかなり近かった。それを補強していたのが、声優陣の巧みな演技。特に西之園萌絵は、天才的頭脳を持ちながらも子供っぽさを残し、普段は理知的なのに犀川にだけ感情豊かに振る舞うという矛盾に満ちたキャラクターなのだけど、見事に演じ切っていた。

ドラマと違って、アニメでは全11話で原作どおりに映像化されている。現実の事件と並行して、謎の人物によって「真賀田四季」の半生が語られるという構成。アニメ版の主役は、この四季であると言ってもいいと思う。自分も四季が好きなので、とてもよかった。原作を読んだときは今ひとつわからなかった四季の心情が、完全に理解できたような気がする。

しかし、改めてストーリーを見直してみると、ミステリーとしては穴がたくさんあるなと感じてしまった。計画的犯行にしては不確定要素が多すぎるし、ずいぶんと危ない橋を渡っている。犯行が成功したのは奇跡に近いんじゃないだろうか。

このアニメはあまり話題にならなかったから、このシリーズの他の作品がアニメ化されることはなさそう。キャラクターデザインと声優がよかったから、残念に思う。デザインを手がけた浅野いにお氏の漫画でも読もうかな……

もののけ

先週から、六甲山の中腹にある姉の家に滞在している。姉夫婦が海外出張で家を空けているので、その間、姉の家で仕事をしながら留守番と犬の世話をしてきた。

朝晩、犬の散歩をする。これが、言うことを聞かない活発な柴犬なので、簡単にいかない。リードをずんずん引っ張る。しかも一度外に出ると1時間くらい帰ろうとしない。

和犬の習性として、自分の家では絶対にうんち・おしっこをしないので、雨だろうが風だろうが散歩に連れ出さなくてはならない。今週は月曜日から荒天が続き、雨風強く気温も低く、なかなか大変だった。

3/20の朝も、天気が悪かった。6時半ごろ外に出ると、折れた小枝や緑の葉が道路に散乱していた。前日から降り続いた雨は小雨になっていたが、まだ風が強かった。傘が強風であおられて持って行かれそうになるので、諦めて閉じた。ハイキングに行くつもりで持ってきたウィンドブレーカーが役に立った。

この犬は雨が嫌い(というか、水に濡れるのが嫌い)なので、雨の日は引きずるように連れ出すのだけど、この日はなぜだか積極的だった。いつものコースを10分ほど進んだ後、急に引き返して、元来た道をもの凄い勢いで進み始めた。気まぐれなヤツだなと思いながらついていくと、ついさっき通り過ぎた道の脇に、何か妙なものがあるのに気がついた。

暗灰色の大きな毛玉。モサモサした毛で覆われていて、高さ30cmほどの卵形をしている。一瞬、クッションか何かが放置されているのかと思ったが、違う。生き物の気配がする。

ごうごうと風が吹き渡るなかで、不気味な物体を目にして、ちょっと怖くなった。動悸が速くなる。物体に向かって突き進む犬をリードで押さえながら、慎重に近づいた。

卵形がもぞもぞと動いて、顔が現れた。小さな顔だが目の周りだけ黒く、恐ろしげな雰囲気。「KISS」の悪魔メイクの人に似ている。 

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タヌキ?じゃない、アライグマだ。こんなところで何をしているのだろう。ふと、数年前に雨降る田舎道で見かけたタヌキを思い出した。そいつもこんな感じで、道路の真ん中で立ち尽くしていた。雨に降られて、弱ってしまったのだろうか。

犬を2mくらいまで近づけてみたが、アライグマは動かなかった。反撃されたら怖いのでそれ以上近づけるのは止めておいた。郊外の山の中なので、イノシシはよく見かけるのだけど、アライグマを見たのは初めてだ。

もう明るかったからよかったけど、薄暗がりの中であれに出くわしたら、確実に妖怪だと思っただろう。モサモサしながら、人を待ち構えている妖怪。

その日の夕方、また散歩に行くと、アライグマは同じ道路の脇の土手に穴を掘って、そこで丸くなっていた。近づいても反応しない。死んだのかと心配したが、よく見るとピクピク動いていた。翌日には、いなくなっていた。

「ゲーム・オブ・スローンズ」

特に意味もなく「TIME」誌のツイッターアカウントをフォローしているのだけど、たびたび記事になるのがこの「ゲーム・オブ・スローンズ」。アメリカのケーブルテレビ局が制作した、ファンタジー世界を舞台にした大作ドラマということしか知らなかったが、なんとなく気になっていた。アメリカ人が夢中になっているファンタジー風ドラマとはどんなものだろうと。

それが突然、Amazonプライムビデオで全シリーズが公開された。これはよい機会と、シーズン1から見始めたわけだが……

「ロード・オブ・リングス」みたいなものを想像しつつ、第1話を見てみたら、いきなり度肝を抜かれた。容赦のない残虐シーンやエロシーンの連続。さすが、堂々とR-15を宣言しているだけのことはある。

舞台は、中世ヨーロッパをモデルとした架空の大陸。有力な領主たちが微妙なバランスを保ちつつ、1人の王に従ってきたが、王の死とともに熾烈な権力闘争が始まり、全土が戦いの渦に巻き込まれていく。やがて、数百年前に途絶えた伝説がよみがえり始める。呪い、魔法、アンデッド、そしてドラゴン。

映像は、文句のつけようがないクォリティ。精巧に作り込まれた巨大なセット、リアルさと美しさが追求された衣装の数々、大作映画に引けをとらないCG。どれだけの予算がつぎ込まれたんだろう。

脚本もすばらしい。まさかそんなことになるとは…とか、ここでこうなるの!?とか、この人死ぬんかい!!とか、毎回驚かされる。視聴者が思い描いている「この先のストーリー」を必ず覆してくるので、緊張感がすごい。そして、各エピソードの終わりの「引き」。続きが気になって、つい次のエピソードを見てしまう。

シーズン1を見ていて、薄ら薄ら感じていたのは、数年前のNHK大河ドラマ真田丸」と似ているな、ということ。いや、「ゲーム・オブ・スローンズ」の方が先なのだけど、脚本に共通点がある。

都から遠く離れた北方の地で平和に暮らしていた領主の一家が、王座を巡る争いに巻き込まれ、家族全員がばらばらになってしまう。ドラマは、引き離された家族それぞれの視点を中心にして展開する。この点が「真田丸」と一番似ている。

重要な(と視聴者が考えていた)出来事をサクッと省略するところや、登場人物それぞれが個性的である(キャラが立っている)点、その特徴付けの方法も似ているように思う。あと、美術のこだわり具合や照明の当て方なんかも……これは脚本と関係ないけど。

とにかく、三谷さんは「ゲーム・オブ・スローンズ」から何らかの影響を受けたのではないかなと、想像。

ただ、日本のドラマとのレベルの差を感じてしまうのが、役者のクォリティ。「真田丸」で見られた名優の熱演もよかったけど、「ゲーム・オブ・スローンズ」のキャストは全員がすばらしい演技を見せてくれる。特に子役のレベルが日本とは違いすぎる。だから物語に引き込まれる。

昨日で、やっとシーズン2を全部見終えた。続きが気になるが、しばらく間を置こうと思う。毎回、凝りまくった映像と脚本が詰め込まれた1時間なので、お腹が一杯になってしまうのだ。見るのに気合いがいる。

正直、シーズン7まで完走する自信がない……