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重さのない芸術

先日の木曜日。

帰宅と同時に缶ビール(発泡酒とも言う)を開けて、TVのスイッチをオンにした。7時のニュースがつまらなくて、Twitterをチラ見していたら、教育テレビで面白い番組をやっているとの情報が。

BBCの制作で、1970年代のイギリスの一般家庭の暮らしを再現するという番組だった。1軒の家に'70年代の家電製品を集めて、共働き夫婦と3人の子供たちが当時の暮らしを体験する。家電だけでなく、インテリアやファッションも当時を再現。夫は40年前の車で出勤し、妻は仕事を休んで家事に忙殺される。1日経つごとに1年が経過して、生活を便利にする家電製品が増えていく。電子レンジが、冷凍庫が、テープレコーダーが、TVゲームが…

当時を知らない子供たちにとっては新鮮な体験だったらしく、その反応が面白かった。一番年かさの男の子がレコードを手にして、こんなことを言っていたのが印象に残った。

「このジャケットがいいと思う。実際に手で持って触れられる、この感じ」

彼にとって、音楽とはコンピューターとiPodの中にあるデータなのだ。記録された音楽が物質として存在していて、しっかりとした重さを感じられることが新鮮だったのだ。

それで思い出したのが、先日読んだ『ハーモニー』(伊藤計劃)だった。この小説の中の近未来では、文芸作品はすべて電子データであり、拡張現実インターフェイスを使って読まれている。しかし、この時代にも「本」を読みたいという趣味人が存在していて、そういう人たちは高い費用を支払って専門業者に依頼し、データを印刷して製本している。

音楽は、もうその段階に来ている。音楽をリアルな媒体で所有することがマニアックな行為となる時代は、もうすぐだろう。たしか、音楽データをビニールレコードにする業者がイギリスかどこかにあったような。

次に来るのは、文芸の電子化。閲覧用端末の改良と低コスト化が進んで、手軽に利用できるようになれば、一気に普及するだろう。街から本屋が消滅して、マニア向けの古書店だけが生き残る。「本」の手触りと重さに愛着を持つ人たちは、古書店やネットオークションで本を探すか、著者から許諾を得て自費出版する。

そんな時代になったら、「本棚」という言葉も死語になるんだろうな。と、自宅の本棚を整理しながら思った。