3月11日の事

その瞬間は仕事中だった。PCに向かって作業していると、静かにゆっくりと床が揺れ始めた。2日前に大きな地震があったばかりだったので、そのまま揺れが収まるのを待っていたが、なかなか止まらない。それどころか、だんだん大きくなってきた。窓がガタガタ鳴り始める。その時点で、はじめて「ただ事じゃない」と気付いた。

とりあえず事務所に閉じ込められないようにドアを開け、廊下に出る。同じフロアの人たちも皆、ドアを開けて不安そうに身構えていた。ビルは船のように揺れている。廊下の壁に身をあずけて、揺れが収まるのを待った。

揺れが収まると、まず社長に連絡を取ろうとしたが、向こうの携帯につながらない。そうしている間にも、大きな余震が来た。このビルは築30年以上経っているので、このまま中にいるのは相当怖い。とりあえず、事務所にいた営業の人と外に出ることにした。

近所の新築ビルのカフェへ。ここなら安全。落ち着いたところで携帯で社長に電話しようとしたが、発信すらできなかった。しまった、もう規制がかかったか。

ダメ元でTwitterアプリを起動すると、あっさりつながった。すでに地震情報が続々と入ってきている。TLをたどっていると、仙台駅の画像を見つけた。ホームの天井が壊れて、案内板が斜めに垂れ下がっている。これは大変だ。

しかし、iPhoneのバッテリーが残り20%だったので、それ以上見るのはやめた。充電しておけば良かった……。会社に戻って充電するわけにも行かないので、充電池を買いに行くことにした。

いくつかコンビニをまわって、iPhone用の充電器を入手。単三電池4本で充電するタイプ。これでひと安心。

その間にも余震が立て続けに来た。ビルを見上げると、肉眼でもはっきりわかるほどグラグラ揺れている。もう、あの中に戻りたくないな。

と思ったら、営業の人がひとりで事務所に戻っていた。仕方なく、6階まで階段で登って事務所へ。

どうしても今日中に処理しないといけない案件があるという。内心、(もー、そんな状況じゃないのに)と思ったが、置いて帰るわけにもいかず、じりじりしながら待つ。その間にも余震が何度も。

電話がどうしても通じないので、関係各所にメールで連絡。帰ることに。社長への連絡はあきらめて、事後報告することにした。

Twitterで山手線・地下鉄が動いてないことはわかっていたが、一応駅に向かってみる。しかし、池袋駅にたどり着く前に人混みにはばまれてしまった。横断歩道の向こうにある東口は人でごったがえしている。あの揺れだと、電車が復旧するまでだいぶ時間がかかるだろう。歩いて帰ることを決意する。

営業の人は吉祥寺なので、徒歩は無謀だった。その場で別れて、一人で明治通りを歩き始めた。

狭い歩道は歩く人でいっぱいだった。非常事態でテンションの上がっている人が多い。ひとりなので、そのテンションを分かち合えないのが寂しい。黙々と歩く。風が強く、寒い。

早稲田まで歩いたところで、疲れてきた。スーパーでトイレ休憩。水を買って、飲む。充電器の電池が切れたが、iPhoneのバッテリーは半分も復活しなかった。単三アルカリ乾電池を購入。

ひたすら歩く、歩く、歩く。新宿駅は混乱してそうだったので、迂回して、大久保通りを西に向かう。とたんに、すれ違う人から韓国語や中国語が聞こえてくる。外国の人は、この状況は情報がなくて大変だろうな。

新大久保駅の前を通過。まだ山手線は止まっているようだ。駅前の公衆電話に長蛇の列ができているのを見て、阪神大震災を思い出した。あのときも公衆電話にみんな並んでいた。通信インフラが発達した今でも、非常時の通信手段はこれなんだな。

歩道脇の店の前に、人だかりができていた。テレビが置いてある。ここで、被災地の映像を初めて目にした。津波の被害に呆然。とても気になるが、ここで自分が見ていても何の役にも立たない。すぐまた歩き始める。

日が暮れて、寒さが増してきた。かなり疲れを感じる。トイレにも行きたくなったので、コンビニに立ち寄ることにした。店の外で座って、温かいココアを飲む。雲間から夕日が見えた。

歩き再開。しばらくして、山手通りに突き当たった。初台方面に向かう。山手通りの歩道は広くて、歩きやすい。最初からこの道を歩けば良かった。時間のせいか、帰宅中の人がたくさん歩いている。じきに、日が暮れた。

甲州街道の狭い歩道を歩くのが嫌だったので、方南通りで折れて西へ。

ここで、思いつきで住宅街に入ってみた。このまま、まっすぐ行けば、ショートカットできるはずだ。

しかし道がまっすぐ続くわけもなく、じきに迷ってしまった。iPhoneのGPSが安定せず、現在地がよくわからない。適当に歩いていたら、前方にやけに高いビルが現れた。あれ、初台のオペラシティ……しまった、これじゃ逆方向だ。

やはり夜に知らない道を歩くのは止めた方がよかった。だいぶ時間をロスしてしまった。徒労感にぐったりしながら歩いていると、路地の中華料理屋の脇に公衆電話があるのに気付いた。誰も並んでいない。とりあえず、実家に連絡しておくか。

母親が電話に出た。なんか興奮気味だ。こちらの携帯に電話をかけたが、全然繋がらなかったらしい。茅ヶ崎の兄貴の家族にも連絡が付かないようで、困っていた(たまたま親戚の家に行っていたことが後で判明した)。

電話を切ると、入れていた100円玉がそのまま取り出し口に落ちてきた。本当に無料になったんだな。非常事態を実感。

重たい足を引きずるように歩き続ける。途中、甲州街道を横切るとき、歩道にあふれる人波に驚いた。皆、西に向かっている。どこまで帰るのかなぁ。

いいかげん脚の筋肉が痛くなってきた頃、ようやく家に到着した。所要時間、4時間。