『ダーク・スター・サファリ』

ポール・セロー。いつも、ポール・オースターと混同してしまう。二人ともアメリカ人の作家で、ほぼ同年代で、孤独と自由に関する小説を書いている。オースターの作品は柴田元幸が翻訳し、セローの作品は村上春樹が翻訳している。なんとなく「傾向」が似ている。

オースターの小説は何冊か読んだので、セローの小説も読んでいたつもりでいたが、Wikipediaの作品リストを確認したら『ワールズ・エンド』1冊しか読んでいなかった。しかも読んだのは学生時代、20年以上前だった。内容はほとんど覚えていない。

だから、ポール・セローが若かりし頃にアフリカでの平和協力活動に身を投じ、教師として数年間を捧げていたことは知らなかった。

2001年、60歳になろうとしていた作者は、かつて教育に情熱を傾けた東アフリカの国々を再訪すべく、エジプトのカイロから南アフリカケープタウンまで、陸路でのアフリカ縦断の旅に出た。

できるかぎり飛行機は使わない、というのがルール。現地の公共交通機関を利用し、アフリカ人でぎゅうぎゅう詰めのバスや列車に乗り込むことも厭わない。公共交通機関がないときには、街で車をチャーターしたり、トラックの運転手に(金を渡して)乗せてもらったり。ときには貨物船に乗って湖を渡ったり、辺境の部族に依頼して丸木舟で何日間も川下りをしたりする。

荷物は、小さなダッフルバッグひとつ。着替えもほとんど持たず、服がくたびれてきたら現地のマーケットで中古衣料を調達する(現地人と同じ服装をすることで危険を避けるライフハック)。

作者は、PCやスマートフォンはもちろん、携帯電話も持参しなかった。理由は、日常から完全に切り離されて旅に埋没することで、真の「自由」を味わうため。その気持ちには、すごく共感できた。

かつての学生時代、スリランカを一人で旅していたとき、田舎道を行く乗り合いバスに揺られながら、不意にその感覚にとらわれたことがある。自分を知る人は誰も自分の居所を知らず、周りにいる人は誰も自分のことを知らない……途方もない解放感だった。

たぶん、ポール・セローは人間の傾向が自分と似ていると思う。かといって、仲良くできるとも思えないが。

ただ、作者のような旅の達人の域には、自分は到底達しない。読みながら、このような旅をするには何が必要なのか、自分には何が足りないのか、ずっと考えていた。

結局、コミュニケーションなのだろうと思う。作者は東アフリカの言語を数種類話すことができ、実直で友好的なアフリカ人とも、外国人から金をせびろうと近づいてくる悪質なアフリカ人とも、対等にコミュニケーションしている。海外旅行したことがある人ならわかると思うが、片言でも現地語(英語ではなく)を話すことができれば、簡単に相手の警戒心を解くことができる。それこそ、スムーズな旅を続けるための秘訣。そこからさらにコミュニケーションを深めることができれば、さらに旅は豊かなものになる。

社会人になってから海外旅行に行く機会がなかったが、もし次にいく機会があれば、きっちりと現地語を勉強してから旅立ちたい。

この紀行文を読んで行きたくなった場所は……スーダンナイル川流域、砂漠に埋もれかけたエジプト文明の遺跡群。故郷を捨てたアルチュール・ランボーが安らぎを得たというエチオピアの城塞都市、ハラール。多様な民族・文化が混じり合い、輝く海と風の街、ケープタウン。などなど……

この本には素晴らしい旅の過程だけでなく、腐敗しきった独裁政権、どん底の経済、スラム化し崩壊が進む都市、モラルを失った民衆など、アフリカの問題点も赤裸々に描かれている。どうしようもない現実も、旅人は直視させられる。嫌な気分になる。それも含めて、旅なんだなぁ、と思う。

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