僕と狩猟

去年の11月から始めた猟師見習い活動。3月15日に猟期が終わった後、個人的に今後どうやって狩猟と付き合っていくべきか考え始めていたのだけど、その後すぐに勃発したコロナウイルス騒ぎで、現実として狩猟どころではなくなってしまった。

ただ、このまま忘れてしまうのは嫌なので、ここらで自分の考えをまとめておくことにした。

まず、現時点での結論から。

  • 狩猟は、そのすべてが面白い。
  • ただ、狩猟に対する個人的な情熱は、あまりない。
  • 現在の個人的状況では、狩猟の実践は難しい。

自然の中を歩き回り、野生動物の気配を探り、様々な情報や経験を総動員して戦略を立てて、狙い通りに獲物を屠り、その肉を分け合って食べる。その過程のすべての段階がとてつもなく難しくて、面白い。

ただ、その過程の中で避けられない1つの行為、つまり「とめる(殺す)」という行為には、最後まで慣れることができなかった(自分ではやっていないが)。シカやイノシシのような大型の獣も、所詮は本能のままに動く「生けるロボット」のような存在であって、人間のような心あるものとして認識するのは誤りである。そういう風に頭では理解していても、実際にその姿を見ていると絶望や痛みを感じてしまう。

もっとも、実際に狩猟をやっている人たちも、「とめる」ことに関しては複雑な思いがあるようであった。自然や動物が好きな人ばかりなので、何も感じないという人は(少なくとも僕が出会った中には)いないようだった。皆それぞれに葛藤しながら、自分なりのやり方で心の中の折り合いをつけているのだと思う。

このことについては、猟期の間も、猟期が終わった後も、つらつらと考え続けてきたが、結局のところ、それを乗り越えてまで狩猟を実践したいという動機を見いだすことができなかった。

たとえば、森の中でシカを追い、ついに30メートル先にその姿をとらえたとする。気付かれないよう静かに猟銃に弾を込めて、構える。シカに照準を合わせて、息を止めて、引き金を引く……。そういう状況を想像してみる。それを、本当にやりたいのか。

「それほどやりたいわけではない」というのが、今の正直な気持ちだった。

また、東京に暮らしている現状では、狩猟を実践するのはかなり難しいことがわかった。まず、東京都内で狩猟ができる場所は限られているから、猟場まで数時間かけて移動する必要がある。限られた猟期で成果を上げるために毎週出猟するとなると、結構つらい。罠猟をやるなら罠を毎日見回らなければならず、さらに大変だ。

また、猟の必需品である(僕はそう確信している)猟銃を所持するのもハードルが高い。公安委員会による煩雑な手続きや、驚くほど高い手数料も問題だが、一番の難題はアパートの管理者や所有者から自宅に猟銃を置く許可をもらうことだ。都内の普通の賃貸住宅で、その許可をくれるような大家さんは、ほとんどいないだろう。

銃砲店に銃の管理を委託する(置いてもらう)方法もあるにはあるが、出猟するたびに銃砲店に立ち寄らなければならないので、移動がさらに面倒になる。

つまり、自宅の近辺に狩猟ができる環境があり、しかも自宅が持ち家という状況がなければ、狩猟を続けることは難しい。お金もそれなりにかかる。今のところ、その壁を乗り換えてまで猟をやりたいという思いは、僕にはない。それが今回の結論である。

 

ただ、そういう現実的な壁を乗り越えて狩猟を続ける、情熱を持った人も存在する。僕が知る最年少の猟師は、都内で賃貸住宅に住み、サラリーマンをやりながらも、猟期は毎週末数時間かけて山に行くことを厭わない。以前は新宿駅から朝3時台の始発に乗って山梨の山まで通っていたという。僕は彼を尊敬する。

(彼が面白いのは、シカやイノシシは撃てるけれどもタヌキは撃てない、と話していたこと。どうやら「かわいいから」らしい。動物に対する倫理観というのは、そういうことで左右されるのだろうな。)