新年
新年早々だが、鬱々とした気分が晴れない。
年末年始は実家で過ごした。クリスマス過ぎから風邪を引いて、治らないまま長距離ドライブで帰郷。短い休暇ながら、あまり予定を詰め込まずにのんびり過ごした結果、体調は回復した。
しかし家族や旧友と過ごした時間の後で、誰もいない部屋に帰るのは、なかなかつらいのだった。
あまりに寒いので外に出歩く気が起きないのだけど、休み明けの三連休、ずっと部屋にいるのも嫌だ。体もなまってしまう。今日は天気がよかったので、近所を少し歩いた。
気温は1℃くらい。びゅうびゅう風が吹いていて、恐ろしく寒かった。
海野宿へ行ってみたら、連休なのに観光客がほとんどいなかった。寒すぎるからだろう。年末にTVで観た、黒澤明の「用心棒」を思い出した。無人の宿場町に、風だけが吹き渡る。
アパートに戻って、車でショッピングモールに出かけたら、人であふれかえっていた。皆、寒いからここに集まるのだろう。フードコートで皿うどんを食べて、帰った。
午後、カウチに座って読書をしていたら眠くなり、うとうとして目が覚めると、寒気が止まらなくなった。やばい、また風邪引いたか。ベッドに潜り込んで、電気毛布をかぶって震えているうちに、また寝てしまった。起きたらすっかり夜。寒気はなくなった。体調が良いのだか悪いのだか、よくわからない。
再読 − フィリップ・K・ディック『死の迷路』
ディックのSF小説にハマったのは、大学生の頃だ。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』から始まり、市民図書館に置いてあった文庫本を片端から読んでいった。
高校生のときに愛読していたのは、レイ・ブラッドベリだった。あの暖かい幻想と狂気の世界に魅せられていたのだけど、大学生になると、ディックの小説に満ちている人間臭さ、力強さに強く惹かれるようになった。ダメ人間が不条理すぎる状況に追い込まれて、絶望して、のたうち回りながら、生きる意味を見出していくような、そんな小説ばかりだった。
『死の迷路』は、その頃読んだ中でも特に強く印象に残った作品だった。
人類が遠い宇宙に進出した未来。うだつの上がらないダメ人間たちが、謎の命令を受けて無人の植民惑星に集められる。しかしそこには誰もおらず、何の指示も与えられない。まったく協調性のない登場人物たちがぶつかり合いつつ、なんとか協力して脱出しようとするのだけど、何者かによって1人ずつ殺されていく。
砂漠の真ん中に巨大なビルが建っていたり、なんでも質問に答えてくれるゼリー状の知的生命体が出てきたり、普通に神様が登場したり(この小説の世界には「神」が実在する)、奇怪なイメージが何とも魅力的なのだ。
ディックの小説にしては珍しく(?)、この作品にはきちんとしたオチというか結末が用意されている。内容は無茶苦茶なのに、なぜかまとまった印象がある、奇妙な小説だ。
大学生の自分が読んだのは、1989年に東京創元社が出版した文庫本だった。後になって再読しようと探したのだけど、絶版になっていた。それを最近になって、ハヤカワ書房が再文庫化。書店でそれを見つけた僕は、迷わず購入した。20数年ぶりに再読。
でも、読んでいる間、何か違うなという違和感をぬぐえなかった。訳者は東京創元社版と同じ山形浩生さんで、訳文も同じはずなのだけど。というか、同じだから違和感があるのか。すこし古くさいし、セリフの訳し方にクセがある。でも翻訳自体のクォリティは素晴らしいと思う。最近の、1ページ読んだだけで本を投げたくなるような、ひどい翻訳とは大違いだ。この違和感は、20年のうちに熟成された自分の記憶とのズレから生じているのだろう。
今回の読後感は、ハタチそこそこで読んだ時とはまるで違った。もちろん、結末を知っているから驚きがないせいもあるけど、主人公がその選択をしたことに対して感じたことが変わった。
「何もかも失って、むき出しの自分だけが残ったとき、何を望むのか」。善悪も、価値も、人間関係も何も考えず、たった一人の人間として心から望むものは何なのか。それを今の段階で考えて、受け入れることが、すごく大事なんじゃないかと。
学生時代、大学の近くにあったピザ屋バー(焼きたてピザを食べながらカクテルを飲めるお店)で、友達と酒を飲みながら、この小説の結末について熱く(一方的に)語ったことがあった。当時の自分は、その結末の「意外性」に強い印象を受けて、その技巧性みたいなものにやられていたのだけど、カウンターの向こうで黙って話を聞いていたバーのママさんが、突然話しかけてきた。真面目な優しい目で、「あなたたち、すごく良い話をしているわね」と。陽気で、さっぱりした性格のママさんだったので、そんなことを言ったのがとても意外で、戸惑ってしまったのをよく覚えている。
大震災の後、ママさんは病気で亡くなり、ピザ屋もなくなったと聞いた。それから長い月日が経った。今、再読してみて、あのときのママさんがどんなことを感じていたのか、なんとなくわかった。
あれから、約四半世紀。自分も、ちょっとは成長できたらしい。
独鈷山
11月12日、日曜日。友達と一緒に、上田市の独鈷山に登ってきた。
独鈷山の標高は1266m。広大な田んぼが広がる塩田平を囲む里山の一つだが、かつては密教の修行に使われたという伝説が残るだけあって、険しい山だ。
このあたりの里山は、ごつごつと「とがった」形をしたものが多いのだけど、独鈷山はその極め付けだろう。麓から見上げると、壁のようにそそり立って見える。今回のコースは水平距離にして2km弱しかないが、標高差は655mもあった。この前登った蓼科山よりもハードだ。
朝、車で友達を拾って登山口に向かったものの、いきなり迷う。道が狭くてわかりづらい。ちょっと戻って、川沿いの道へ。車一台分の幅しかない急坂を数分登ると、突き当たりに金網のゲートがあり、その脇に3〜4台分の駐車スペースがあった。
ゲートの先にも広い駐車スペースがあったが、悪路を登るので四輪駆動じゃないと厳しいかもしれない。
こちらの登山口は山の北側に当たるので、この季節、ずっと日陰の中を登ることになる。寒い。苔むす沢に沿って登り始める。最初はゆるやかだが、だんだん坂がきつくなってくる。この山は、平らな場所がない……山頂まで、ずっと登り坂。
沢沿いの道が終わると、つづら折れの猛烈な坂道が始まる。笑えるほどの急傾斜だ。しかも落ち葉が積もっているので、滑りやすい。
やっとのことで稜線が見えてきた。
崖っぷちに張り出した巨石を回り込むと、一畳ほどの広さの岩棚があった。足を踏み外したら終わり、スリル満点の展望台。塩田平の田畑の幾何学模様、紅葉した山々、目を上げれば雪を頂いた北アルプス。東に目をやると、浅間山、八ヶ岳まで見渡せる、素晴らしい眺めだった。下の写真は、4枚合成したパノラマ写真。
ただ、この展望台は危険なので、オススメしない。道のすぐ先に、もっと安全な展望ポイントがある。
山頂は登山者で賑わっていた。東側の平井寺から登ってきた人もいた。あちらの方が楽なのかもしれない。
山頂から南側を見おろすと、いつも松本に行くときに通る国道254号線が真下に見えた。オモチャのように小さな車が日の光を反射して、キラキラ光っている。面白い眺めだ。今度あそこを通るときは、こちらを見上げてみよう。
山頂から少し下った林の中で昼食タイム。コンロで湯を沸かしてインスタント豚汁、それとコンビニオニギリ。写真だと日差しで暖かそうに見えるが、気温4℃なので結構寒い。
帰りは沢山池に下る予定だったが、友達と話しながら歩いていたら分岐を見落として、見当違いの方向に下りてしまった。すぐ気付いたものの、急坂を10分くらい登り返す羽目になった。
それにしても、大量の落ち葉。靴が埋まる。
沢山池に向かうルートも、落ち葉で完全に埋まっていた。立ち木に巻かれたピンクテープを頼りに道を探すような状況。以前は稜線に並ぶ巨石群の上にルートがあったようだが、そちらは立入禁止になっていた。
岩を巻くように急斜面をトラバースする道がつけられているのだけど、人が通った形跡が全然ないのが不安だった。手持ちのガイドブックには、この新しい道の情報がないので、先の状況がわからない。友達はだいぶ疲れているようだし、安全を考えて、今回は登ってきたのと同じルートで下ることにした。
登りよりも下りの方が滑りやすく、何度かすっ転びそうになった。一気に600mも下ると、さすがに膝が笑った。ここは本当に、修行の山だな。
蓼科山と不思議な猫
天気がよく、空気が澄んでいる朝には、自宅のベランダからこの山のてっぺんが見える。整った台形の、きれいな山頂。洗濯物を干しながら、いつか登らないといけないなと思っていた、蓼科山。
今年中には登ろうと決めていたものの、気が付けばもう10月。眺望の良さで知られる山なので天候のよい週末を狙っていたのだけど、なかなかタイミングが合わなかった。三連休の最終日、天候も体調も整ったので、やっと登ることができた。
選んだルートは、一番楽な御泉水コース。登山口の駐車場が混むという情報を得ていたので、早めに自宅を出たのだけど、途中で手袋を忘れたのに気が付いた。急遽、白樺湖のローソンに寄り道していたら、到着が9時前になってしまった。2つの駐車場はもう満車。しかたなく、路肩の細い空き地に車を停めた。数日前の雨で泥沼のようになっていたが、四輪駆動だから大丈夫だろう。
一の鳥居をくぐって、登り始める。最初は森の中の緩やかな登りが、次第に急登に。とにかく、ずーっと登り続けで平地がない。山だから仕方ないけど。
登りがキツいことはわかっていたから、今回はトレイルランニング用のシューズを履いた。いつもの登山靴と比べると、羽のように軽い。登り自体がしんどいことに変わりはないが、脚の筋肉への負担は確実に減る。ほとんど休むことなく、一気に中間地点の将軍平まで登ることができた。ここまで1時間。
蓼科山荘の前で一休みした後、山頂に向けて出発。ここから、本当の急登が始まる。立ちはだかる岩の数々を、両手両足を使ってよじ登る。わざわざ手袋を買いに行った甲斐があった。
体はしんどいが、楽しい岩登り。
30分後、山頂に到着。自宅からよく眺めていた山の上は、想像とは全然違う世界だった。こんなに岩だらけの場所を見たのは、生まれて初めてだ。
巨大な岩の間には深い隙間があり、危険だ。慎重に飛び移りながら、先に進む。スマホで写真を撮るときも、ヒヤヒヤした。岩の隙間に落としたら回収不可能だ。
円形の山頂をぐるりと一周し、ど真ん中にある蓼科神社奥社に参拝した後、八ヶ岳を眺めながらお握りを食べた。
今回使ったトレランシューズ。その軽さには大きなメリットを感じたが、今回の蓼科山には不向きだった。土や砂利の地面にはよくグリップするのだけど、岩の上では滑ってしまうのだ。いつもの登山靴は粘りつくように岩にグリップするので、感覚の違いに戸惑った。帰り道、濡れた石で滑って尻餅をついてしまった。
この靴は使える状況が限られそうだ。うーむ、軽くて滑らない登山靴が欲しい……。
帰り、山小屋泊の気分を味わおうと、蓼科山荘でティーブレイク。
あんなところまで登ったんだなぁ。七合目まで車で登ったにせよ…
ところで、今回も山の不思議に出会った。いや正確には「山」ではないのだけど、自分の中では「山の不思議」。
車で登山口に向かう途中、対向車線で猫が死んでいるのを見かけた。夜のうちに、車にひかれたようだ。こんな辺鄙な田舎道で車にひかれるとは、不運なヤツだ。
下山後、車で家に向かっている途中、目の前を猫が横切った。体の大部分が白色で、頭とお尻に薄茶色のぶちがあり、しっぽがシマシマ模様になっている。朝、死んでいた猫とまったく同じ柄だった。
あれー?と思いながら、通り過ぎた。別に怖くはないが、気になった。
翌日も、仕事をしながら、その猫のことを考えていた。そして、ふと思い当たった。この問題を客観的に検証する手段があるじゃないか。ドライブレコーダー。それに気付いたとき、初めて怖くなった。もしも記憶違いじゃなかったら、どうしよう?
緊張しながら、ドライブレコーダーの映像をチェックした。
その結果。確かに、道に横たわる白っぽい猫の死骸と、道を横切る白っぽい猫の姿を確認できた。しかし解像度の問題で、体の模様まではわからなかった。とくに道を横切る猫は記憶よりも遠くにいて、レコーダーの広角レンズではゴマ粒ほどにしか写っていなかった。
一度死んだ猫が生き返り、9時間後に20km移動して悠々と歩く姿を見せたという怪異の可能性は、ゼロではない……ということか。そんな奇跡が起きる理由も意味も、まったくないけど。
本を持ち帰る
2年前に手術した右膝の経過観察と筋力測定を行うため、病院に行く必要があったので、実家に帰ってきた。今回もクルマにて、片道400kmのロングツーリング。
せっかくクルマで帰ったので、かねてからの懸案だった本の引き上げをすることにした。実家を倉庫代わりにして、本を置きっぱなしにしておくのは、もうやめる。ただでさえ、実家には父親が数十年かけて乱読した本がおそらく1,000冊以上ある。姉も読書好きだったせいもあって、今も2部屋が本棚で埋まっている。親の歳を考えると、少しでも整理しておいた方が良いだろう。まずは自分の本から。
小学生の頃から活字中毒だった自分は、週に1冊以上のペースで読んでいたが、お金がなかったのでほとんどの本は図書館で借りていた。今残っている一番古い本は、中学生のときになけなしの小遣いで買ったマンガの単行本である。
男子中学生が夢中になって読むマンガほど、大人になってから読み返す価値のない本はないのではないだろうか。広い世界への憧れと、現実からの逃避と、異性への興味と、不甲斐ない自分へのコンプレックスと……思春期の不安定な精神状態の中でこそ、求められ、読まれる本だから。
ぱらぱらと数ページ開いて読んだだけで、うんざりする。しかし、あまりにも強い思い出が染みついているので、処分するのはしのびない。埃にまみれたマンガの山を前にして、腕組みして長考。したのち、とりあえず全部持ち帰ることにした。もう一度読んでから決めても遅くはない。
処分を決めた本も一度自宅に引き上げることにしたので、けっこうな量になった。クルマのトランクスペースに入りきらず、後部座席にも詰め込んだ。
……ブログには書いていなかったが、半年前にクルマを普通車に乗り換えた。前の軽自動車だったら、乗らなかっただろう。
帰宅して部屋に本を運び込むと、ちょっとした山になった。数十冊の本を買い取りサービスに送ることに決めたが、まだまだ残っている。
「読まなくなった本は手放して、また読みたくなったら、また買い直す」というスタイルもある。その視点で蔵書を見直すと、古い文庫本などは放出できそうな気がしてきた。ただ、絶版本はどうするか。あと、サイン本……
漂泊の賃貸民である自分にとって、蔵書を維持するのは難しい。常に、本を放出し続ける人生。いつかは、自分の家が欲しいなぁ。
花と虫
まもなく終わる、この夏。
せっかくなので、ちょこちょこと撮影していた花と虫をまとめてみた。
ネットと図鑑を使って調べてみたが、大変だった。2時間以上かかった。しかも、わからない花がたくさん(>_<)
■トキワハゼ(新潟県・笹ヶ峰高原)
■ニッコウキスゲ、そのほか(長野県・車山)
■カワラナデシコ(長野県・車山)
■ナツアカネ(長野県・蓼科)
大群で飛んでいた。
■イワインチン(長野県・東篭ノ登山)
■エゾリンドウ(長野県・東篭ノ登山)
■ゴゼンタチバナの実(長野県・東篭ノ登山)
その気になれば食べられるらしい。
■ドクベニタケ?(長野県・東篭ノ登山)
食べちゃ駄目な気がする。
■マツムシソウに群がるジャノメチョウとクジャクチョウ(長野県・池ノ平湿原)
■ヤナギラン(長野県・池ノ平湿原)
■ニラの花に潜り込むコアオハナムグリ(長野県・近所)
お気に入りの昆虫なのにピンボケ(>_<)
写真はすべてOLYMPUS TG3とスマホ(HUAWEI P9)で撮影したが、改めて見てみるとピンボケが多いし、画質も残念な感じ。まともなマクロ撮影ができるカメラが欲しくなるけど、重いからなぁ。
良いカメラを使いたい、しかし山に持って行くのはしんどい……このジレンマに、かれこれ1年以上悩んでいる。
参考:
日本の昆虫1400 (1) チョウ・バッタ・セミ (ポケット図鑑)
- 作者: 高井幹夫,奥山清市,長島聖大,井村仁平,槐真史,伊丹市昆虫館
- 出版社/メーカー: 文一総合出版
- 発売日: 2013/04/15
- メディア: 文庫
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日本の昆虫1400 (2) トンボ・コウチュウ・ハチ (ポケット図鑑)
- 作者: 高井幹夫,奥山清市,長島聖大,井村仁平,市毛勝義,佐藤和樹,中島淳,横川忠司,槐真史,伊丹市昆虫館
- 出版社/メーカー: 文一総合出版
- 発売日: 2013/05/20
- メディア: 文庫
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テンカラ
小学3年生くらいだろうか、初めて釣りをしたのは。
父親の田舎に遊びに行ったとき、親戚の従兄弟だか誰かと、用水路で釣りをした。貸してもらったのは素朴な竹の竿。テグスの先に針を付けただけの仕掛けを用水路に垂らすと(エサを付けたと思う)、すぐに釣れた。と言っても、2cmくらいの小魚。ばんばん釣れた。小さすぎて手応えはまるでなかったが、「面白い」と感じた。
しかし、残念ながら私の釣り体験はそれで終わりだった。父親が釣りをしなかったからだ。なぜか一度だけ、近所の川にフナ釣りに連れて行ってくれたことがあったが、半日川に糸を垂らしただけで、何も釣れなかった。そして二度と行くことはなかった。非常に飽きっぽい人なので、やる気がなくなったのだろう。
大人になって、バイクで野山を走るようになると、また釣りに興味が出てきた。山奥の渓流で竿を振る釣り人が、かっこよく見えたのだ。でも、まったく経験がないのでやり方がわからない。何から手を付けたら良いのか、わからない。釣り教室とかないのか?と探してみたが、子供向け教室ばかりだった。ど素人の大人に教えてくれそうな場は見つからなかった。
ところがつい先日、Facebookで、良いイベントが見つかった。毛鉤を使う日本伝統の釣り「テンカラ釣り」を、初歩の初歩から教えてくれるという。
長野県の奥地・小谷村で1泊2日という日程は少しハードルが高かったが、思い切って参加することにした。
白馬から、糸魚川街道を北上。山と川に挟まれた国道を走り続け、新潟県との県境近くで山に分け入ると、小さな集落に出た。そこにある農業体験施設が、今回の釣り教室の会場だった。古民家をリノベーションした木造建築で、特産の「とち餅」の製造工場を兼ねている。一階が多目的スペース、二階が宿泊スペース。土間を吹き抜ける風が心地よく、居心地の良い建物だった。
集まった受講者は、4人。東京方面から2人来ていたのには驚いた。あとは、新潟市から1人、そして私。
最初の自己紹介で、釣り素人は自分だけと判明(おぉ?)。素人は素人なりに挑戦するしかない。
最初は座学で基本的な知識を学んだ後、自分で使う「仕掛け」を作ってみる。と言ってもテンカラの仕掛けは簡単で、竿と同じ長さの糸(ライン)に、30cmくらいの細い糸(ハリス)をつなぎ、その先に毛鉤をつけるだけ。子供の頃の用水路の釣りと、大して変わらないくらいシンプル。素人にとっては、道具に気を遣う必要が少なくて済むのはメリットだと思う。
しかし、細かい作業がつきものなのが釣り。毛鉤とハリス、ハリスとライン、ラインと竿をつなぐには「二重投げ縄結び」が必要なのだが、これに苦戦した。何度教わっても、やり方がよくわからない。お手本を見せてもらっても、指で押さえながら結ぶので肝心なところが見えない。そもそも、ナイロンの硬く細い糸で小さな結び目を作るのは簡単なことではない。「イーッ!」と切れたくなるのをこらえつつ、他の人の倍の時間をかけて、なんとか出来上がった。
渓流に出るのは翌日の予定だったが、まずは近くの川で練習。
振り出し式の竿を伸ばし、先端に糸をつないで、セット完了。教えられたとおりに竿を構え、川に向かって振る。狙った場所に毛鉤が落ちて、少し流れたら、すぐに引き上げて、また竿を振る。投げては引き、引いては投げ、トライアンドエラーを短い周期で繰り返すのがテンカラ釣りの特徴らしい。
今回お借りした竿。大変高価と聞いたので、折らないように慎重に扱った。
オモリ的なものが付いていない軽い糸は、まず真っ直ぐ飛ばすのが難しいのだけど、それ以上に困ったのは、どこに飛んだのかわからなくなることだった。大きさ1cmほどの地味な毛鉤が見えないのは当然だが、見やすいはずのピンク色の糸もすぐ見失ってしまう。これは想定外だった。目が良くないと、釣りはできないのか?
しばらく続けていると少しは見えるようになったが、場所によってはかなり見づらい。これは慣れでなんとかなるのだろうか。目印でも付けたいな……。
10分もしないうちに、腕が異様に疲れてきた。
だんだん空しさが頭の中に立ちこめてきた。魚の気配はまったく感じられず、ただひたすらに川に向けて糸を振り続けているオレは、一体何をやっているのか。なぜここにいるのか。なぜ来てしまったのか。帰りたい。
ふと、懐かしい感じがした。これは、まったく新しいことに挑戦して壁にぶつかっているときの感覚だ(そのまんまだけど)。久しく、なかった感覚だな。
気付かないうちに振りが雑になってきて、先生の指導を受けた。竿がブレるときは、左手を竿の尻に添えるとしっかり支えられるよ、と教えてもらう。格好は悪いが、握力のない自分にはこのスタイルの方が良いかもしれない。
1時間ほどで、練習は終了。結局、誰も釣れなかった。夕食の前に、皆で近くの共同浴場的な温泉に行った。ここが源泉掛け流しで、とても良い温泉だった。お客さんは同じ集落の人ばかりで、村の集会所状態だった。
夜。ここの畑で採れた夏野菜をたっぷり使った、家庭的な料理をいただいた。東京から来た人が「ひさしぶりに人間らしい食事をした」と言っていたけど、わかる気がした。すべての食材に存在感があって、「食べている」感じがするのだ。それに、たくさんの人と座卓を囲んで食事するのも、自分にとっては久しぶりだった。
食後は、毛鉤づくり教室。明日は自分で作った毛鉤で釣りをするのだ。
基本的には、タイイングバイスというクランプのような器具に釣り鉤を固定して、糸や羽を巻き付けていくという作業。釣り鉤が小さいので、実質的な作業範囲は5mmほど。超、細かい作業が求められる。
芸術品のように美しいフライフィッシング用の毛鉤と比べると、テンカラ釣りで使う毛鉤はずっと地味でシンプルだ。でも、それなりに手間はかかる。マンツーマン指導を受けながら、1本「巻く」のに30分くらいかかった。巻き終わると、目がしょぼしょぼ、肩がカチカチ。こんなんやってられん、完成品を買おう……と思ったが、買うと結構高価らしい。すぐになくなる消耗品なので(自分も最初の練習中に、流木に引っかけて1本なくした)、自分で作らないと経済的に厳しいと、テンカラ歴1年の参加者が語っていた。
2本目。コンタクトを外してメガネに変えたら細かい部分が見やすくなり、作業が楽になった。3本目を巻き終える頃には、この作業自体に面白みが感じられてきた。これで魚が釣れたら楽しいだろうな。
翌日、やる気のある人は朝食前に釣りに行こうという話になったが、自分はスルーするつもりだった。5時に起きて5時15分に出発するのは無理だ。
夜、激しい雨が降った。田舎の雨は森の匂いがして、心地よい。寝床の中で、明日の天気はどうなるのだろうと考えていた。意外と蒸し暑くて、よく眠れなかった。
朝5時、天気は小雨。他の人が起き出したので、結局自分も起床した。行くかどうか迷ったが、自分以外の全員が身支度を始めたので、自分も慌てて支度をした。頭の半分が寝た状態で、出発。昨日と同じ近所の川へ。
前夜、それなりに雨が降った割には、川は濁っていなかった。風もない。なかなか、良いコンディションらしい。カッパを着て釣り開始。
前日よりは、思った場所に毛鉤を投げられるようになった。しかし、相変わらず魚の気配を感じない。本当にいるのだろうかと疑問を覚えつつ、川面の下で動く魚を想像しながら、竿を振り続ける。
だんだん雨が強くなってきたので、1時間もたたないうちに終了。聞くと、先生は釣り上げる寸前で逃してしまったとか。参加者の1人も、一度、魚がかかった感触があったらしい。見えないだけで、いたんだな、魚。
宿に戻って、ご飯とお味噌汁と野菜中心のおかずという「人間らしい」朝食をいただいた。
それからも本降りの雨は降り止まず、結局、渓流に出かけるのは中止となった。早朝、無理矢理にでも出かけてよかったな(昼過ぎ、帰りがけに川をのぞいたら、もの凄い濁流になっていた)。またまた、毛鉤教室を続行。サカサケバリ、などを制作した。
雨天中止を不憫に思った施設の人が、おやつを作ってくれた。というか、おやつ作りイベントを開催してくれた。
前年の秋に収穫した「山ぐるみ(オニグルミ)」を割り、中から身をほじり出す。栽培されているクルミと違って身が少ししか入っていないので、かなり手間がかかる。取り出した身をすり鉢で潰し、粉状になったら、水と砂糖(塩少々)を加えながらさらにすりつぶし、クリーム状にする。
こちらの施設で作ったという「とち餅」を炭火で焼き、先ほど作ったくるみクリームを付けていただく。100%オーガニックなおやつ!(かじりかけの写真で失礼)
コーヒーを飲みながらのんびりおしゃべりしているうちに、お昼になった。正直、あまりおなかは空いていなかったが、せっかく昼食を用意してくれたので、いただくことになった。夏野菜たっぷりの冷やし中華と、麦茶。なんだか、夏休みに田舎の親戚のうちに遊びに来た、夏休みの子供のような気分だった。
昼食後、解散となった。結局、釣り体験というより、リノベーション古民家でのんびり過ごす休日になってしまったが、それはそれで楽しかった。
釣りの実践は、また次の機会に。でも、9月末で漁期が終わるから、そうのんびりとしていられないな……