植村直己冒険館

7/20、月曜日。

朝からスッキリと晴れた、ツーリング日和。ジーワジーワと蝉が鳴く中、7時半にバイクを乗り出す。すでに暑い。もっと早く出たかった。

今日は、2月に行ったコウノトリの郷公園の夏の姿を見るのが目的だった。あの田園風景の夏を見たい。

すぐに高速に乗って、舞鶴若狭道へ。メッシュジャケットを着て高速を走っていれば汗だくになることはないが、体の水分が抜けてくるのか、のどが渇く。

西紀SAにて給水休憩。地図を確認していると、「植村直己冒険館」の文字に気がついた。そうだ、前回ここに行きたかったけど時間がなくてあきらめたんだ。今日はまずここに行こう。

二輪駐車エリアに戻ってくると、隣に見慣れないバイクが……

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ルートはナビに任せた。春日ICを下りて、北近畿豊岡自動車道→遠坂トンネル→山東IC→R427→R9→R312と北上。下道も比較的空いていて走りやすかった。

10時、「植村直己冒険館」に到着。時間のせいか、あまり人がいなかった。クレバスをイメージしたというエントランス。

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通路幅いっぱいのエントランスドアがかっこいい。

入館料は500円だが、なぜか「コープこうべ」の会員証で団体割引400円になった。地味な割引ながら嬉しい。

まず、映像ホールにて15分の記録映画を見て、その人物と足跡を知る。なかなか興味深いドキュメンタリーだった。その映像で強調されていたのは、植村直己は決して向こう見ずな冒険野郎ではなく、どちらかといえば臆病で、誰からも好かれる優しい人物だったということ。

映像の中で、植村直己はこう言っていた。自分はエベレストにも登ったが、高所恐怖症の気があるくらいで、怖かったと。アタック隊の一番手としてエベレスト山頂に立った植村直己は、カメラを捨てて山頂の石をザックいっぱいに詰め込んだという。甲子園の土よろしく、ベースキャンプで待つ仲間たちのために持ち帰ったのだった。そんなに石を持ち帰るのはいかがなものかという感じだが、いかにも日本人らしい発想、日本人らしい優しさだなと思った。

ホールを出て、展示室へ。犬ゾリや極地での生活などのテーマ別展示と、冒険に使われた装備品の数々が展示されている。北極探検に使われた極地用テントに潜り込んだり、犬ゾリに乗ったりできる。地味ながら、面白い。

植村直己が登山のときに背負ったザックと同じ重さのバックパックが置いてあり、「背負ってみましょう」と展示されていた。よっしゃ!と背負ってみると、それこそ石が詰まっているのかと思うほど重かった。30kg?それ以上かも。70年代に活躍した人なので、装備品も今の軽量化が進んだ道具とは比較にならない重さなのだ。身長はオレと同じなのに、タフな人だったんだなぁ。

ガラスケースの中に、ニコンが北極用に製作したF2のスペシャルモデルが展示されていた。このでかいカメラを担いで冒険に行ったのか。しかし、展示されている写真のほとんどに植村直己本人が写っているのはなぜだろう。映像でもしっかり本人が動いたり、喋ったりしている。カメラマンがいたのか?

その答えもテーマ展示にあった。完全な単独行だったので、撮影もすべて自分ひとりでこなしていたのだ。三脚を立ててビデオカメラを設置し、別の場所に三脚を立ててニコンのセルフタイマーをセットして、流氷の中で悪戦苦闘する姿をさらし、ひとりカメラに向かって喋っていたのだった。この事実に、なぜか一番感動した。

冒険は、それを記録し伝える者がいて、初めて成立する。単独行ではなかなか難しいことだと思う。しかし、植村直己は、大変な労力を払って自分の姿を克明に記録し、写真や映像を残した。最後に消息を絶ったマッキンリー山でも、遺品のカメラには遭難直前の自撮り写真がフィルムに記録されていた。

このこだわりは、なんだろう。なにか、深い意味がある気がする。著作を読めばわかるかもしれない。

外に出ると、社会科見学に来たらしい子供たちがたくさん遊んでいた。展示に感銘を受けて冒険家を目指す子が現れたり、しないかな。

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続く(予定)。