残滓
野山が美しい季節。しかし花粉による鼻づまりがひどいので、野山は歩けない。マスクをしたまま運動すると酸欠になってしまう。
そこで今日はドライブに出かけた。窓全開で山道を走っても、マスクをしていれば平気なのだ。特に用事や目的地はないので、純粋なドライブである。とりあえず、山を越えて松本に行ってみた。
適当な駐車場に車を止めて、古い街並みが残る中町通を歩いていると、ちょっと面白そうな陶磁器屋さんを見つけた。作家物の陶磁器ばかりだが、コーヒーカップや茶わんなど普段使いできそうなものが並んでいた。重厚というよりは軽快、モダンで美しい作品が集められている。値段も(比較的)手頃だったので、買いたい気持ちを抑えるが大変だった。
面白いのは、いくつかの作品に短い詩が添えられていること。詩が書かれた紙片が、作品の脇に置かれているのだ。店主自作らしい。昭和初期の詩人が書いたかのように、旧仮名遣いで書かれていた。詩そのものの出来はともかく、これだけで想像力が刺激されて、作品の世界が大きく広がったように感じられた。面白い工夫だと思う。
陶磁器が展示されている棚は一部が本棚になっていて、古い本が並んでいた。背表紙を見ると、「ドグラマグラ」「小栗虫太郎作品集」など、趣味の良い本が並んでいる。中でも、中井英夫の作品や関連書籍がたくさんあったのには感心した(自分が好きなので)。
我慢しきれなくなり、カウンターの中にいた初老の男性店主らしき人に聞いてみた。
「これは売り物ですか?」
「いや、違います」
「ああ、ご主人の蔵書なんですね。趣味が良いですね」
「いやぁ。東京時代のザンシみたいなもので」
ここで常連らしき女性客が来たので、店主はカウンターから出ていった。
ザンシ、って「残滓」のことか。なかなか、日常では使わない言葉だ。
東京の仕事を引退して、松本に移住してこの店を開いたということだろうけど、自分の過去を「残滓」と呼んだことが気になった。中井英夫ファンだから、そういう耽美な感覚を持っているというだけのことかもしれないが……。
もう少し観察してみたかったが、常連の人たちの空気に居づらさを感じて、何も買わずに出てしまった。
また来よう。
(この写真は別のお店)